前社長:叔父の逝去

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初代の祖父には2人の息子がいた。兄は利益・征夷大将軍=利征、弟は商売繁盛=繁。

共に商売を承継し、社員と共に本田燃料店を盛り上げた。

私は父利征の利(利益ではなく利他)と博(博愛)をとって利博と名付けられた。

多分、商売商売でガツガツではなく、優しい子に育てたかったのだと思う。

その父も2代目を継いだが、50過ぎに他界。まだ20代そこそこだった私の代わりに、

3代目を継いだのが叔父の繁さんだった。商売のイロハ、厳しさを教わった。

現在も西岡支店長の現役バリバリだったので、私が仕切って社葬にした。

社葬にすると、会社や私宛てに弔問が多いので、故人と面識のない方々も多く、

喪主にとってはチンプンカンプンでなかなか挨拶に大変だったと思う。

御香料は勿論、式場には数多くの御供花が並んだ。

正面には特に親しかった親戚や友人の供花を並べ、通夜後にはビュッフェ付きの食事会を開いた。

斎場の担当場長、チーフマネージャーは私と親しい方だったので、大変良くして頂いた。

叔父には子どもが居なく、私を幼い頃から大変可愛がって頂いたので、最後のお礼を込めて取り仕切った。

とにかく商売一筋の叔父は、多くの方に手伝ってもらいながら商いをした。無理やりや雑な面もあったが。

西岡支店の仕事を手伝っていただいた方々は多い。それも当社の歴史が続いた結果ということでもある。

多くの皆様には本当に感謝しかない。そんな方々も皆、葬儀には参列していただいた。

大好きなラーメンを食べるくらい元気だったが、その夜血管が破れて、多量の血を吐き、

そのまま救急車で病院へ。私も駆けつけ、数時間手を握りながら看病していたが、

その甲斐もなく、明け方に急逝した。享年満73歳。一昨日まで会って話してたのに無念しかない。

亡くなった日に届いた取材本。見せる事が出来なかった。いつものように喜んでくれたと思う。

葬儀も終わり、いつものような仕事に追われる日が始まった。今年は例年の1.2倍の忙しさ。

実は通夜の日も25件、葬儀終了後も仕事した。休みなど取れる訳がないくらいの忙しさだ。

でも、それも3月で終わる。今シーズンも私は120日連続勤務でフィニッシュしそうだ。

今朝は利尻の粒雲丹で久しぶりの朝食を。喪主のふさえさんは利尻出身。

おばさんと2人で利尻に遊びに行った事もある。とっても良い島の想い出がある。

今年は叔父さんも一緒にみんなで利尻や旅行へたまには行きたいね、なんて話してたのになぁ。

本当に残念でならない。父の時と同じくらい、悲しくて、大変で、辛い毎日を送っている。

そんな中でも本当に有難いのは、子ども達の成長や、対人関係の人つながりに恵まれていること。

今回の葬儀でも思ったが、辛い状況時に参列してくれる方々や、お花を供えてくれる方々。

どれだけ心の支えになったことか。本当に感謝してます。ありがとうございます。

今回の葬儀で、私の事を思って行動してくれた方々は、本当に貴重で尊く、これからも大切にしたい。

「あぁ、一人じゃないんだな・・・」そんな人の優しさに触れ、心が洗われた出来事でもあった。

 

「繁さん、一緒に過ごした日々が多すぎて、今でも死んだのか生きてるのかわからないくらいです。

子どものときはゲームや釣り堀、沢山のお菓子をくれたり、一緒に食事、温泉、

大人になってからはパチンコ、楽しかった思い出がいっぱいです。

仕事も厳しくも、沢山の事を教えてくれました。一緒に灯油やガスの配管工事したり。

言い合いになったり、ケンカしたりも沢山やりました。全てが財産です。」

故人のご冥福を心よりお祈り申し上げ、今回のブログを終わらせていただきます。合掌。

 

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コメント

  1. 本田祐平 より:

    入院中のため大変失礼致します

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